ご機嫌よう。九州より白米炊けた。ジュン・チャンです。
夜。素麺を啜りながら稽古動画を観ていたら、撮影担当のふくしまさんが、カメラに向かってピースしてくれました。
ふくしまさんは「久しぶり過ぎてどう話していたかわかんない!」と言っていましたが、僕は「いやまったく、ふくしまさんは変わらないな」と爆笑しました。かれこれ4〜5年は経つでしょうか。またご一緒できて嬉しいです。
その流れで、稽古場で一瞬、僕の話になっていたようです。皆さんのやりとりを聞き、これまで関わった石榴作品に思いを馳せました。
制作への嫌がらせのような割引の数々。僕はただでさえ数字が苦手だと自負しているので、会計は中野さんにやっていただくか、制作の相方に泣きついてお願いしていました。
「てことはお前、楽してんじゃねえか」と思われた方もいるでしょう。稽古場の予約、機材の貸し出し。ある現場では、ふらっと手伝いに行ったら急に紙吹雪撒けと言われたり。ある時には急にブロマイド印刷してこいと言われ、本番直前にチケット差し替えを指示された記憶もあるような。あの時は何度自転車で百均やコンビニに走ったことか…。
段取りが悪い癖にこだわりの強い中野さんに振り回された一方で、ある意味では制作としては鍛えられたのかもしれません。
が、どれだけ取り繕っても、当時の本音は「こんちきしょう!ふざけんな!」「良い加減にしろよ!」辺りでしょうか。
ちなみに、動画の向こうのふくしまさんによると、僕は何かの折に「(主語はおそらく「中野の野郎」)絶対許さない」と言ったことがあったそうです。これまた爆笑しました。
構成員の方は特に今回、本公演ということで大変ではないかと心配しております。
中野さん、座組の皆さんに感謝の気持ちをしっかりと持って臨んでください。当然のように思っていると、人は離れていきます。人を雑に扱うと、必ず自分に返ってきます。
ある意味これ、今回の『shuku-sai』にも入っている要素ですよね。
徐々につくりあげられる光景を観る中で、気づいたことがあります。
石榴作品、作品の中で夏が取り上げられる場面が多いような気がするのです。僕が観た作品に限られるのですが、『独演会』で使用された楽曲は夏めいたものが多かった。オリンピックを時間軸にしているというのもあるでしょうが、『shuku-sai』もそんな風に感じました。(石榴の花が咲いてる。)は夏が好きなんでしょうか。
あんまり書くとネタバレがすぎるので難しいところですが、長台詞、ダンス、がとても好きです。緻密に作り込まれた日常の場面と対称的に、日常を俯瞰してみる象徴的な場面でもあります。
特に、長台詞の部分というか、ここを担当している登場人物は、きっと今まで立ち現れては過ぎ去っていた、「わたし」と「あなた」両方の思考の波を、津波のように吐き出しているようにも思われるし、逆に呑まれているようにも感じられます。言葉を止めることは許されない、大変な役割です。
でも、この場面は作品の中核を成す、とても大切な部分であるようにも思います。どんな身体の感覚になっているのでしょう。解放か、支配か。
嗚呼、現地で本番が観たいものです。
最後にくだらないことを書きます。
ある日の映像に映り込んでいた舞台監督の方の手指がめちゃくちゃ綺麗で、見惚れました。ありがとうございました。
九州は蒸し暑くなってきました。
皆さま引き続き、お身体労りながら取り組まれてください。
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