「去年の緊急事態宣言下、なんで人のいない東京の市街地で、誰も(演劇とか)何もしなかったのか。そんな状況、なかなかないのに」
ずっと素朴に思っていたので、電話で中野さんに伝えました。すっげえ笑われました。不謹慎な会話ですね。
梅雨の明け切らない九州より、白米炊けた。ジュン・チャンです。
こちらは蒸し暑い日が続いています。
コロナ禍における演劇公演について考えさせられています。
オリンピックの強行開催、落ち着かない感染状況で、無事『shuku-sai』が決行できるのか、ハラハラしています。
本来、演劇は行政の強制力でもって制限され得るものではありません。しかし、残念ながら昨今の雰囲気を鑑みると、北京五輪のような都市からの排除、(意味のわからない日本語だが)自粛要請というのが起こる可能性もあります。
演劇は要・不要で言ったら、緊急的な状況では不要とされてしまうものですが、なんとかこの世界で生きていくために、必要なものでもあります。
物事にはタイミングがありますが、『shuku-sai』は今やるからこそ意義のある作品。何としてでも上演してほしいものです。
さて、橋詰さんが稽古に合流しました。物語により立体感が出てきています。
橋詰さんが演じる役は、人への関心が薄いように感じられます。作中、自身に向けられる「好き」がどのようなものかを、相手に尋ねる場面がいくつかありました。それに対して、尋ねられた面々は真っ直ぐに気持ちを伝える訳ですが、それに対する反応の素っ気なさ。
傍から見てると自分もこんな風なのだろうか、と思いました。僕も誰かを特別好きになるということが、よくわからないので。人から人に抱く感情はもっと多様で、複雑で、全く同じことなんてないので。
ただ、僕とその人物の大きな違いは、周りの人に対する温度感であるかもしれない。多分、僕はここまで人を避けて、自分が傷つかないように防御はしません。
中野さんはよくまあこんなに沢山の「好き」を散りばめられたなあと感心してしまいました。と同時に、この登場人物の中にある、虚ろや弱さに思い馳せました。
『shuku-sai』では、上記のようなアセクシャルっぽい人物や、女性同士のカップル等、これまで社会の中で周縁化されてきた人にスポットを充てています。こんな書き方をすると、先進的な作品かなんかのように受け取られそうですが、根幹はそこではありません。
人が誰かに抱く感情の複雑さ。時の移ろいとともに、変化していく関係性。
一つ一つの場面が、それらを丁寧に表現しているのが『shuku-sai』です。これまでの(石榴の花が咲いてる。)作品を振り返ると、ある意味とても優しい作品と言えるかもしれません。中野さんも丸くなったんですかね。
ところで、今回2人の男性が登場します。
役の雰囲気がなんか似ているような気がするのですが、中野さんの好みでしょうか。ダダ漏れですね。
7月に入り益々暑くなってきました。
皆さま、くれぐれも体調には留意されてください。梅干しです。
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